office 2007 professional

 来年度からの仕事上、どうしても必要なので買わなくてはならないのだが、どうせなら、今時のネットブックに同梱のものを安く買いたいと思っている。今使っているマシンも7年落ちの代物で相当ヘタってきているのが心配なのだ。

 だけれども、世の中そんなに甘くないというか、personal同梱はあってもprofessional同梱はあんまりない。どうしたものか。

 あ――芥川龍之介

 

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 というわけで、今後は、リストを見ながら気になった本を取り上げるかたちでブログを更新したい。

 私は、日本の作家では、芥川龍之介を偏愛している。太宰治に大いにハマっていた時期もあったし他にも色々読んできたはずなのだが、大よそ、最近まで継続して愛してきたのは芥川龍之介ぐらいだ。

 小学校のとき、通っていた塾が出版していた芥川の短編をまとめた副読本にはまり、高校のとき、教科書のなかの「或阿呆の一生」に衝撃を受けた。そして、大学一年のとき、藤井貞和先生による演習の授業があったので芥川龍之介について研究することにした。また、このとき、駒場銀杏並木文学賞が復活したのを機に、芥川の短編を徹底的にモノにすることも考えた。

 まあ、演習の結果はそれほど反響も無かったし、文学賞は余裕で落選したのだから、何にもならんかったのだが。

 そんな、苦い挫折というか、単にイタいだけの思い出が蘇ってくるわけだが、最近、ある先輩と酒を飲んでいて夏目漱石はいいよね、という話になったときに、漱石も面白かったが、芥川にはもっと切実なものがあったはずだと酔って気持ちよくなった頭で考えた私はその足で新潮文庫を買ったのだった。お値段、362円。青空文庫でただで読めるとはいえ、やはりお求めやすい一冊である。

 「人生は一行のボオドレエルにも若かない」と本屋の二階からひとの生活を見下ろしていた青年は、やがて、古道具屋の剥製の白鳥の黄ばんだ羽根が虫に食われているのをみて、「彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じ」つつ「徐に彼を滅しくる運命を待つことに」なるのだ。

彼はペンを執る手も震え出した。のみならず涎さえ流れ出した。彼の頭は0.8のヴェロナアルを用いて覚めた後の外は一度もはっきりしたことはなかった。しかもはっきりしているのはやっと半時間か一時間だった。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしていた。言わば、刃のこぼれてしまった、細い剣を杖にしながら。

 彼は、確かに、生活者に敗北したことを認めたわけだけれども、かくも華麗な文章で自らの敗北を描くほどの自負心をポイと捨てることはしなかった。彼はかつて平凡な人生と対峙していたが、その晩年には、彼を滅しくる運命と対峙していたわけである。

 ここで重要なのは、彼 vs X の対峙という形式なのであって、そういう分割の態度なのであって、この分割は、先ずは本屋の一階と二階との間で啓示的に引かれた線であったが、ひいては、彼と彼の運命との間で強い意志によって引かれることになったものである。それは、初めは単なる思い上がりであったのだろうが、いつしか、英雄的な態度となってしまったと言ってもよい。

 だから、彼が「敗北」と言うとき、その言葉を真に受けることは、私には、できない。運命と真正面から向き合う者の顔がどうして涎や鼻水や涙に汚れているはずがあろうか。

 レコードになった本とコレクターになった私

pqrs2010-02-13


 わが部屋の本の表を作った。三日がかりで登録した。一目でどこにあるか分かるようなサイズの大きい本はリストからは外したが、大体、1500冊程度だと思われる。これを印刷して暇を見つけてはニヤニヤと眺めている。

 こうなってくると、一冊一冊をどう消化していくのかなんて関係なくなってくる。そこに何が書いてあるのかさえどうでもよい。本というのは今やテーブル上のレコードに過ぎない。そして、欠けているレコードを補うべく、Amazonの中古を検索しブックオフへと通うのだ。いつの日か、お金に余裕が出来たら、たった一つのレコードの欠けを埋めるべく稀覯本に手を出すようになるだろう。

 そのとき、私はきっとこう言うだろう。テーブルがわたしをコレクターにしたのだ、と。

 先週のことだが

 ちょうど大学生の試験時期にあたっていたのか。総武線でのこと、わたしの両隣と真向かいの一人が一所懸命に授業のプリントをめくっていた。真向かいの学生が何を読んでいたのかは分からなかったが、右隣は化学、左隣は刑法かなんかの勉強をしていたようだ。

 何の気なしに右隣のプリントを見てみると、「××ベンゼン」の生成の仕方を答えよ、とか、「○○」の試薬がどうのこうのと書いてある中の最後の行に、「××からモルヒネを精製する方法を答えよ」という問いがあってビックリした。

 化学では学生にモルヒネの作り方教えてるのか! と感慨にふけっていたところ、唐突にその男が大声で、「うぉぉぉぉ、眠いっ」と独り言を発してそのままガクンと背もたれにもたれかかってしまって、二度ビックリした冬の朝。

 今日の心乱れ

 http://d.hatena.ne.jp/toronei/20100203/E 

 どうやら、あだち充が凄いことになっているらしい……

 わたしもサンデーっ子の務めとしてH2までの彼の作品の全てを所蔵していたこともあるが、もう一山を迎えているとは知らなかった。柏葉英二郎との和解、二ノ宮亜美のステキなツンデレぶり、次から次へと浮かんでは、わたしの心は千々に乱れるのだった……

 黒後家蜘蛛の会とは

 英米圏にはクラブ文化というのがあって、お金に余裕のある知識人階級らがレストランの一部を借りて何かといっては集会を行うようである。黒後家蜘蛛の会というのもその一つで、ニューヨークの某レストランで、六人の男どもにゲスト一名で毎月食事会が開かれるのである。
 そこでゲストは自分の抱えているナゾを語り、六人の会員たちはめいめい適当な推理をしてみせるのだが、面白いのは、そのナゾを解き明かすのがいつもヘンリーという名の控え目で六十過ぎの給仕さんなのである。
 実はこの設定には、元ネタがあって、ミステリファンには言わずもがなだが、それが、アガサ・クリスティによるミス・マープルものの短編集「火曜クラブ」*1である。みんなが集まってやいのやいのと推理をするが、結局はミス・マープルが答えを出して見せるという趣向をまるっとパクッてしまったわけである。無論、黒後家シリーズ同様、こちらもお勧めである。

*1:

火曜クラブ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

火曜クラブ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 東京創元を出し抜いてやる

 ミステリファンにおいて、アイザック・アシモフといえば、何はさておき「黒後家蜘蛛の会*1の人である。有栖川さんがあとがきで述べていたように、これから長旅に出なくてはいけない人、時間つぶしを余儀なくされている人、そういった人はすぐに手に取るべき本である。
 とはいえ、このシリーズはアシモフの死と共に終わってしまったわけであるけれども、実は、単行本未収録の作品が幾つか残っており、それを集めたのがコレである。

The Return of the Black Widowers

The Return of the Black Widowers

 理由はまったく分からぬが、東京創元社は、これの翻訳を出し渋っているのである。池央耿さん訳の名調子で読みたいのでずっと待っているのだが、もうずいぶん経つので私訳をでっちあげてやろうかと思わぬでもない。画策中。

*1:

黒後家蜘蛛の会 1 (創元推理文庫 167-1)

黒後家蜘蛛の会 1 (創元推理文庫 167-1)

黒後家蜘蛛の会 2 (創元推理文庫 167-2)

黒後家蜘蛛の会 2 (創元推理文庫 167-2)

黒後家蜘蛛の会 3 (創元推理文庫 167-3)

黒後家蜘蛛の会 3 (創元推理文庫 167-3)

黒後家蜘蛛の会 (4) (創元推理文庫 (167‐5))

黒後家蜘蛛の会 (4) (創元推理文庫 (167‐5))

黒後家蜘蛛の会〈5〉 (創元推理文庫)

黒後家蜘蛛の会〈5〉 (創元推理文庫)