「一番偉い先輩」の思い出

 31歳のわしがキャンパスをうろついている姿というのは、20歳未満の若人の眼からはどう見えるのだろう。

 わしが1年生のとき少しでも入ろうとしたサークルはことごとくヤバかった。無垢な新人生が「学問するぞ」という意気込みで入ろうとするサークルは、その看板に関係なく、概ねその内実は宗教系か極左系である。

 そのうちのひとつが、何かの新興宗教系のサークルだったらしいのだが、その勧誘で、駒場近くのサークル部屋について行った。

 部屋は狭く、わしの他に何人かの若人がカーペットの上に正座している。そこへ、次々に「先輩」と名乗る人々がやってきて高尚な話をするというスタイルだった。

 そこでハイデガーの『存在と時間』の後半によく似た話をしていた人が、サークルで「一番偉い先輩」であるということで、講話の後、その彼と、サシで雑談する機会を与えられたのだった。

 わしは「人はパンのみに生きるのではない」といわれて、「パンがなければ生きられない」と子供のようなことを言い、あきれられたのか、意外にあっさり解放されたのだが、それでも、その「一番偉い先輩」とされる人物のことは何となく気になっていたのだった。

 その「一番偉い」とされる先輩は科学哲学専攻のドクター3年だったはずなので、わしはとうにその頃の彼よりも長くキャンパスにいることになる。