愚民扱いで片付いたら簡単だ。

 予告inへの過剰反応 - Core 
 総務省さまが犯罪予告を検知するシステム作りのために二億を投じると報道された直後に、スレを見て回るサイトが開かれた件。
 それに対する反応のうち、総務省を愚弄する発言に絞って、それを浅はかだと難じる記事である。総務省批判の安易さに批判対象を限定するのなら同意できる部分もあるが、ブログ主が引いているメタブクマには「愚民ホイホイ」だの「かわいそうな人たち」だのとあり、それに「同意」をしている以上、愚弄する部分に限定された批判とも思えない。こういうニュースに反応すること自体に対する批判も少しは含まれていると思われる。メタブクマの連中については言わずもがなだ。
 私もニュースにブクマした人間として、一様の愚民扱いに対して納得できない感情を持った。一度ブラウザを消した後、やはり感情的なしこりが残り、履歴を検索して、再度アクセスし、この記事を書いている次第である。
 批判の要点は要するに、二億という数字には相応の根拠があるものだから安易に批判すべきではない、ということだと思う。しかしそれはあくまで相応である。結局出来上がったものをみたら、先ほどのシステムとさして変わらないものが出来上がってきたという可能性まで否定できるだろうか。
 そういう意味で、数時間で作成されたという予告inは、「これよりはマトモなものを作ってくださいね」というメッセージとして機能していると思う。そして、それを批判する人々においても、自然言語処理がどうとか、携帯サイトへのアクセスとか、運用にいくらかかるとか、いった具体的要望も出てきている。ハードルが上がってきているのである。これらの反応を惹起し、これから二億をかけて出来上がってくるものを監視しようという機運が生まれた。この流れに、何を批判すべきことがあるのかと思う。
 それから、安易な総務省批判と言われるが、そこには、くだらない対応策を考えることへの批判もあるだろうし、本当に二億に値するものを作れるのかという批判もあるだろうし、とりあえず二億という数値に相応の言い訳を付けて受注をとろうとする企業活動と役所との恒常的な依存体質に対する批判も有るだろう。感情的な反応という形式をとってはいるものの、そういった者どもに対する大衆なりの批判精神の発露であるとも解釈できるはずのものだ。
 以上のような考えを踏まえてブクマしたものを一概に「愚民」よばわりされるのは心底腹に据えかねる。我ながらくだらないことに反応すると思いつつ、一応、態度を明確にしておく次第である。