「思想」の知識社会学

 takemita氏が毒を吐いておられ、ああ、これはあれを指しているのだな、と言わずもがなのことを考えた後に、先生がちょっと出てきた最近読んだ別の記事を思い出す。

 「思想」ってジャンルは一体どういうものなの?

それでは、日本での思想とはどういうものなのか? 『思想地図』の著者である、思想家の東浩紀氏にお話をうかがった。

「思想というと、50〜60年代は一般的にマルクス主義を指す言葉でした。70年代以降になると、マルクス主義が衰退し、“思想”の意味もあいまいになる。しかし、若者たちの間には『思想=カッコいい』といった風潮が残り、80年代の好景気のさなかに資本主義批判をするのがカッコいい、といった具合にファッションと化していく。『ニューアカデミズム』と呼ばれる大きな“思想ブーム”も起きました」

そして現在はというと、ワーキングプアなど格差や貧困をめぐる状況が問題視され、「この社会をどうすべきか?」という“思想的”議論が再び熱気を帯びているという。『思想地図』の他にも、『ロスジェネ』(かもがわ出版)や『M9』(晋遊舎)といったオピニオン誌の創刊も相次いでいる。

 うん。まあ、過去と比較して今の我々は真剣だ、という主張をしたい気持ちは分かるのだけれども、90年代以降の論壇デビューというのは、大概、大事件についての解釈を世間に求められてという流れが多いのである。
 宮台先生をはじめとした何人かの研究者らが論壇入りしたのは、オウム事件がきっかけだろうし、中学生の断頭事件でも何人か出てきた。パラサイト云々を言ったおかげで有名になった人は先日ニュース番組で見たし、ナショナリズムでも格差社会でも就職氷河期でも何でもよろしいが、やはり、論壇入りするには、解釈を求めるニーズに答えることを厭わない人が出てこなくてはいけない。
 今回の事件において、メディア的に旨味のあった解釈というのが、凶行を派遣社員と正社員との関係に結びつける解釈で、takemita氏が喝破したように、一見正義づらしている解釈も、派遣社員犯罪予備軍としてきっちり社会的にマークしたという点では、オタクをマークした宮崎事件、カルトと目的なき若人をマークしたオウム事件、孤立した中学生をマークした断頭事件なんかと一緒なんだと思う。
 そして、最も呪わしいのが、そういうマーキングと思想への希求っていうのがきっちりリンクしているってことです。だから、「この社会をどうすべきか?」なんて思いが思想的雰囲気のドライブとしてあるという見立ては知識社会学的にはゼロ点です。