タンゴステップ!

 風格というものがある。最初の数行を読むだけで、「ああ、俺はこの本を最後まで読むだろう」となんとなく感じてしまう本である。

 というわけで、ヘニング・マンケル先生の『タンゴステップ』のご紹介。

タンゴステップ〈上〉 (創元推理文庫)

タンゴステップ〈上〉 (創元推理文庫)

タンゴステップ〈下〉 (創元推理文庫)

タンゴステップ〈下〉 (創元推理文庫)

 プロローグは、1945年12月のイギリス。若い操縦士が謎の雰囲気を持つ男をベルリンへ運んで翌日夜に連れ帰ることを求められる。謎の男は、実は戦犯処刑者で淡々と首吊りを実行する。しかし、一人捕まえられていない男がいることが気がかりだという。操縦士は、謎の男の正体を知らぬままイギリスへと連れ帰る。

 以上がプロローグ。次章は1999年晩秋のスウェーデンとなる。

 主人公は舌癌の宣告を受け休職、なんとなく自暴自棄になっている四十男である。友達も少なく、趣味といえばサッカー結果の切り抜き、取り立てて面白みのない弱気な刑事である。そんな刑事が、新人時代に自分を育ててくれ、今は森深くに隠居している先輩刑事が惨殺されたことを知るのであった。

 とまあ、こんな始まりなのであるが、漂う重厚な雰囲気に、ハードボイルドとは程遠い舌癌にびびりまくっている弱気な男のマッチングが非常によいのである。そしてまた、事件にのめりこんで破滅する男というキャラはエルロイが駆使して有名になった設定ではあるが、今回の事件の場合、舌癌を抱えて何をすべきかを見失ってしまっている男という設定のおかげで、不当に事件にのめりこんでいく様子に不自然さや異常さを感じないで済むのもよい。

 そして、戦時中のスウェーデン社会とナチスとの浅からぬ関わりが掘り起こされていく……愚かな戦争中、懸命にも中立を保ったスウェーデン社会、そう教えられてきた主人公がその欺瞞に気づいていく。国境を越えて喜び勇んでドイツ軍に参加した少なからぬ男たち。ドイツによる占領を望んでいた多くのスウェーデン国民。そんな過去のあれこれが掘り起こされ、石を取り除けられた「石の下の虫ども」が騒ぎ始める……

 本作は、かの名作『目くらましの道』をも超えて、現時点でのヘニング・マンケルの最高傑作であろう。