滞在中の小説

 機内は無論、何かと小説を読む機会の多かった日々であった。

イスタンブールの群狼 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

イスタンブールの群狼 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 19世紀中頃、列強にズルズル譲歩し続けた挙句、エジプトやギリシアにまで敗れたオスマン・トルコは、横暴ぶりが目に付くようになっていたイェニチェリ軍団を攻撃、虐殺、追放し、なんとか列強に伍して遅ればせの近代化を図ろうとしていたのであった。

 これが時代背景。そこに、近代化の象徴、近衛新軍の仕官4名が失踪し次々に死体として見つかるというナゾがあって、それに宦官の主人公が挑むというスジ。

 近代トルコ案内としては良くできているのだけれども、そこに力を入れすぎたために、不自然にぐるぐる各所をめぐるお話になってしまっている。翻訳もところどころ「?」。誤訳はないものと思うが、訳文を軟らかくし過ぎなのではないかと思う。19世紀の人物が喋っているというよりも、今時の若者の会話のように読めてしまい、どうにも気持ちが乗らず。

レッド・スクエア〈上〉 (Mystery paperbacks)

レッド・スクエア〈上〉 (Mystery paperbacks)

レッド・スクエア〈下〉 (Mystery paperbacks)

レッド・スクエア〈下〉 (Mystery paperbacks)

 以前紹介した『ゴーリキー・パーク』は80年代初頭のソ連が舞台であったが、その後、80年代末ペレストロイカ下でも行われた流刑にも似た北洋漁業の実態を描いた『ポーラー・スター』を挟んで、91年ソ連クーデター1ヶ月前のマフィアらが暗躍する裏社会での爆殺事件を描いているのが本作である。

 先ずは、批評家の関口苑生氏に感謝を。氏がどこかで、『ゴーリキー・パーク』ばかりが誉めそやされる現状を批判し、シリーズのその後の出来のよさを熱くプッシュしていなければ、『ポーラー・スター』と本作とを手にすることはなかった。

 マーティン・クルーズ・スミスの作品は、前半でその文化の固有性をみっちりと緻密に描く。本作では、主人公が、こんな時世になぜ犯罪捜査に執着するかを問われ、犯罪を通してその社会の様々な集団と関われること、一種の「ロシア社会学」(ママ)をやっているとも言えることを理由としている。

 しかし、それだけの作家ではない。スミス作品は、クライマックスの中で、様々な社会の様々な集団において、それでも変わらぬ人間の本質を大らかに描き、一種の恍惚境を出現させるのである。モスクワ近郊の山火事に、北極の氷上に、官邸前のバリケードの中に。そして、文体は途端にゆっくりとなり密度を下げる。この完璧な対比こそ、この作家の味なのであろう。