12人の怒れる男

 

 最近ロシアでリメイクが作られたそうだが、自分が視たのは1957年版。50年前の作品だ。数年前に深夜放送で視たきりだったのだが、裁判員制度の導入を間近に控えて、再度視直すことにした。

 先ずは、途轍もない名作であること――これは大前提として、その上で今回気になったのは、頑強に無罪の評決に反対していた陪審員3名が屈服していく過程が哀れでならないという点である。

 1人は「早く終わらせて野球を見に行きたい」というくだらない理由で無実派に転向するのだが、そのことの是非について、ちょっとした諍いこそあれ、結局は周囲の諦めを以って受け容れられている。彼は劇中、最後まで諦められたままである。

 残りの2名はもっと哀れで、1名は、スラム街の住人への偏見を怒鳴り散らした挙句、スピーチの最中に一人また一人と席を離れられて、終いには、有罪派の株屋にまで「黙って二度としゃべるな」と突き放される。彼はよろよろとテーブル隅の離れに移り、そこで劇が終わるまで項垂れ続ける。

 最後の1名には、自分の息子が家に帰ってこなくなったという個人的な苦悩がある故に、父親の殺害を疑われている被疑者の少年の無罪を受け容れることが出来ないでいるのだが、これもまた散々有罪の主張をした挙句、残りの9名の白眼視にあって、最後は泣きながら無罪を認める羽目になる。

 こんな調子で、「12名全員の一致した無罪評決が得られて正義が守られた」ということになるのである……けれども、最初から理性的対話による説得が不可能な存在が3名いたこと、そして彼らがやはり同様に対話には拠らない仕方で次々敗北していく姿というのが――リアルであったし、哀れであった。

 そういう意味で、今回の視聴では、本作が、「正義が貫徹されて晴れ晴れ」とは行かず、何だか苦い後味の残る作品だったことに気づいたのだった。