修士論文/博士論文

 最近思っていることなど。
 逆説的なことに、修士論文執筆中に研究者見習いの学ぶことが、自分独自の世界観をいかに表現するかであるのに対し、博士論文執筆中に学ぶことが、自分がいかなる学統に属する者であり、そして、その極めて制約された視点を(ある種の諦念を以って)我が物として受け入れることである、ということ。
 博士論文というと、なにやら著者独自の壮大な構想をぶちあげ、鮮烈なデビューを飾らねばならぬかのような重圧がらみの漠としたイメージがあるが、これは大きな誤りで、ある程度精緻な議論を組み立てるには、誰かがすでに整理した概念や理論にかなりの程度依存せねばならず、これは具体的に言うと、誰かの学説にワリと無批判に乗っからなくてはやってられないということである。
 逆に言えば、博士論文を執筆しなくてはならない者が、博論で示すに足る独自の社会学観を磨き上げようというつもりで、ヴェーバーやデュルケムを再読するなんていうのは時間の無駄もいいところであるということだ。
 この点こそクーン先生がわたしに教えてくれたことである。