なぜか太宰治

 ビールを呑みつつ、数度の引越しにもかかわらず私にくっついてきた、新潮文庫「二十世紀旗手」を読む。
 中学の頃には難しくてあまり好きではなかった。もっとストレートな「ヴィヨンの妻」や「人間失格」などが好きだった。好きといったところで、中学生に特有の意味不明な感傷に浸っていただけだ。
 今は笑えてしまう。自己/他者問わず過剰に深読みをしていく過程でストーリーラインから無限に後退していくさまなどは、私の不器用な人間関係に影を及ぼしているのではないか、などと思ってしまう。
 今は亡き祖父が、中学生の私が夢中になって読んでいるのを見て、一冊読ませてほしいと望み、それから何冊も借りて読んでいた。
 そのとき祖父は七十五歳。耳が悪くなったためか人とのコミュニケーションをおっくうがり、足腰も相当弱くなっていたからずっと座っていた。母からは「頭はよかったはずなのにギャンブルに現を抜かして哀れな晩年だ」とずっと聞かされていた。
 アウトプットの器官を持たず頭だけがぐるぐるまわるなかで、老境の彼は太宰に何を見出していたのだろうか。そんなことも考えた。