ミステリ

 death noteで思い出したので一言書いておく。
 よく逆転裁判への批判で、「心霊現象が謎に絡むのは納得いかない」というのがある。「好きじゃない」という批判は分かるが、「納得いかない」という批判はそれこそ納得がいかない。
 「納得できない」というのは、要するに、「ミステリというのはXXなものであるべきで、この作品はXXなものになっていない」という批判である。わしが問題にしたいのは、この「べき」だ。そんなのは、ミステリの歴史を多少なりとも知っている人から言わせれば、単なる誤りだと指摘できる。
 ミステリとは読者と作者との間での、あるいは、探偵と犯人の間での「ゲーム」である。「ゲーム」とは、最初にどんなヘンなものであれ、幾つかの根本的なルールを設定し、その後は、そのルールに抵触しないように指し手を生み出し続ける関係のことを言う。
 death noteはミステリである。デスノートや死神などの非現実的なルールが出てくるが、そのルール内ではロジックのみが力を持つ形で丁々発止が行われるのだから。
 逆転裁判もミステリである。霊が憑依した場合何が起きうるかをすべてルールとして述べた上で、事件が起きるのだから。
 このことが、まだ分からないという人は、タクシューの頭の中にあるだろうと思われる「生ける屍の死 (創元推理文庫)」でも読みなさい、といいたい。