キングという「異常」、テレビという「正常」

 国民的公共性という問題意識に重要性を感じ、数時間読み耽る。

『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性

 ただ、自分の理論の中でメディアに与えるべき位置が定まっていないことにも気付かされた。あまりメディアに現象への説明力を与えたくないという気持ちが、(率直に言えば)ある、というか、あった。
 キングという異常事態が、この問題に決着をつけてくれることを祈りつつ、また読む。