韓国ドラマ

 
 昨夜見た韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」では、上の図式は完全に逆になっていた。
 上に立っているのは、面白みのない財閥の御曹司、下にいるのは、何一つ持たない三十路のパティシエ(女性)である。しかし、何一つ持たないがゆえに、まさに「何でもあり」であって、彼女は欲望のままにふるまっている。
 強い儒教道徳のせいだかは分からないけれども、私の見た限りでは、韓国ドラマにおいて、男のほうが財産や地位を持っていることが多いが、その代わりにふるまいの自由を殆ど与えられていないという設定が多いと思った。そして、女性の方はといえば、何も持たない代わりにそれこそ何でも行うことができるのである。
 但し、この前見た「サンドゥ、学校へ行こう」はちょっと変わっていた。男のほうは、はじめ、ただの詐欺師の役でコミカルな演技もこなしていたが、ドラマの後半になると、無口で不器用で無骨な男を演じ始める。反対に、学校の先生だったはずのヒロインがアレコレと動き始めたので、先に述べた定型に等しくなったといえるだろう。
 私にとっての韓国ドラマの魅力とは、ヒロインがあらゆる手を打ってくるその自由さにあるようだ。
 だから考える。もし、「美女か野獣」における性別を入れ替えたらどうだったろうか。福山を退屈たらざるを得ないキャリアにして松嶋を二流のスタッフにしたら。松嶋菜々子が途端に動き始めたのではないだろうか。