トンプスンまとめ

 精神状態が一向に改善しない。なにもかもが悲観的に見えて仕方がない。
 私の読んだトンプスン作品の主人公はみんな、頭の良い人々である。しかし、頭がよいがゆえに、世間の人々が一生懸命になっている事柄に対してコミットメントをしない。どこか距離を置いてニヤニヤ笑っているのである。「道徳がない」といってよいと思う。そういう人々が道徳とぶつかるとどうなるか。

おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)

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 では、主人公は道徳の他者であることを全うすることを選んだ。
ポップ1280 (扶桑社ミステリー)

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 では、主人公は、世間をうまいように操る万能の神であるとうぬぼれた。
失われた男 (扶桑社ミステリー)

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 では、主人公は道徳に組み伏せられ、結局何者でもなかったこと、無であることを認めさせられた。
 トンプスン作品が真に迫っているのは、多少の誇張はあるが、我々は世間の道徳と(単に内面的であるにせよ)距離をとることもあるし、そのときの我々は、少なからず、他者であったり神であったり無であったりするからである。近代的自我の悲劇の構図といってよいのかもしれない。