ご冗談でしょう、フーコーさん

 毎日毎日集成を読んでいる。
 心理学批判から社会学へというのが割とフツーのコースだと思うのだが、彼の場合、心理学→言語学→「社会学(?)」という迂路を経ているところが尋常じゃない。
 「XXが障害である」というのを聞いて、「XXが障害である」っていうのは誰にとってよ? っていう形で「社会」を見出してきた研究者なら沢山いる。彼の場合、そこで言語の構造を見出してしまったところが異常。でも、その迂路があって「社会」に到達したからこそ、その思考に独自性があるとも言える。
 修論では、この迂路を単なる回り道として扱ってしまったが、この迂路がもたらすことになった、独自な社会の見方をコトバにすることが、今回の大筋となりそうだ。