世代論と当事者性

 世代論でしか語れないことっていうのがあって、例えば、戦争経験をしているか否か、とか(『民主と愛国』のテーマであったと思うが)。卑近な例でいえば、テレビゲームとの出会いの衝撃とか。
 最近、gamesideに掲載のゾルゲさんのマンガで面白いせりふがあったので引用しておきたい。スペースインベーダーの話。

「奴ら」は特別だった。これまでのブロックや風船とは絶対に違う電子の世界で奴らは「生きて」いた! 
これがどれだけの衝撃だったか、断言するが、君たちには絶対に理解できない。

 実を言うと、これは、そういう経験をした人間がそれ以外の人間とを自分で分かとうとする線に過ぎない可能性が高いんだけれど(そういうことをゾルゲ氏は恐ろしく強引な断言によって笑いにしてしまったのだが)、そういう、最初は客観的に根拠のなかった(かもしれない)線も、実際に引かれてしまえば、ふるまいや話すことのレベルで本当の違いとして現れてくる。
 こうなると、世代論でしか語れないことになってしまう。これは、突き詰めると、当事者であるか否かということなんだよな。