Chrome / Dark Knight

 1)
 Google Chromeを使ってみた。(FireFoxからの)データの引継ぎは完璧、描画速度もまあまあ、手触りは悪くない。が、シンプル志向のゆえかデザインをいじる余地はほぼ皆無。それから、マウスジェスチャーがない。皆さん同様、しならく様子見ということになるだろう。

 2)
 

オリジナル・サウンドトラック ダーク・ナイト

オリジナル・サウンドトラック ダーク・ナイト

 ダーク・ナイトを見てきた。前半はそれほど面白くない。割と細々とした話が続く。後半、怒涛の展開。ジョーカー様の語る悪の哲学はどこかで聞いた事のある話で刺激もなかったが、彼の作り出す絶望状況は本物だ。大衆を翻弄し、その底に眠る悪意を覚醒させる。そして、社会がその上に成立している危ういバランスを垣間見せる。このバランスが崩れるとどうなるか。この一年ほど、失敗国家と内戦のしくみについて細々読んできていたのでジョーカー様の狙いはたいへん腑に落ちた。
 というわけで、どこまでも堕ちていく感覚、本当にどうなっちまうんだこの世界は、という絶望を感じさせられたという意味で、貴重な体験をした。(以下ネタバレ)
 もっとも、最後の一線は越えなかったので、その辺、安心したような緊張感が途切れたような。本当に、製作者側に「絶望を見せつけてやる」という悪意があれば、船は二台とも一瞬で爆破させていただろう。そうする代わりに、結末に社会秩序の維持に必要な幻想(うそっぱち)の効用を語ってみせる。絶望よりは甘美な嘘を。それは、この映画の作りそのものでもあるような気がした。
 すでに善悪の戦いではないんだな。ジョーカー様が示すのは、むしろ、秩序と無秩序の戦いのさまであって、道徳を守るか守らないかという問いの一個上の水準で、秩序をいかに防衛/破壊するか、そのために道徳は有用か否か、という問いにあるかもしれない。つまり、秩序を破壊する上でも道徳は役に立ち得るし(モラル・パニックなど)、それとは反対に、秩序を維持する上で道徳は邪魔になるかもしれない(防犯のための盗聴など)。
 まあ、そういう一個上からの問題意識で作られているために、それがどこかで、今のアメリ外交政策の正当化に見えてしまって仕方がないのであるが。けれども、そんなチンケな意図で作られた映画ではないと信じたい、なあ。