あ――芥川龍之介

 

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 というわけで、今後は、リストを見ながら気になった本を取り上げるかたちでブログを更新したい。

 私は、日本の作家では、芥川龍之介を偏愛している。太宰治に大いにハマっていた時期もあったし他にも色々読んできたはずなのだが、大よそ、最近まで継続して愛してきたのは芥川龍之介ぐらいだ。

 小学校のとき、通っていた塾が出版していた芥川の短編をまとめた副読本にはまり、高校のとき、教科書のなかの「或阿呆の一生」に衝撃を受けた。そして、大学一年のとき、藤井貞和先生による演習の授業があったので芥川龍之介について研究することにした。また、このとき、駒場銀杏並木文学賞が復活したのを機に、芥川の短編を徹底的にモノにすることも考えた。

 まあ、演習の結果はそれほど反響も無かったし、文学賞は余裕で落選したのだから、何にもならんかったのだが。

 そんな、苦い挫折というか、単にイタいだけの思い出が蘇ってくるわけだが、最近、ある先輩と酒を飲んでいて夏目漱石はいいよね、という話になったときに、漱石も面白かったが、芥川にはもっと切実なものがあったはずだと酔って気持ちよくなった頭で考えた私はその足で新潮文庫を買ったのだった。お値段、362円。青空文庫でただで読めるとはいえ、やはりお求めやすい一冊である。

 「人生は一行のボオドレエルにも若かない」と本屋の二階からひとの生活を見下ろしていた青年は、やがて、古道具屋の剥製の白鳥の黄ばんだ羽根が虫に食われているのをみて、「彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じ」つつ「徐に彼を滅しくる運命を待つことに」なるのだ。

彼はペンを執る手も震え出した。のみならず涎さえ流れ出した。彼の頭は0.8のヴェロナアルを用いて覚めた後の外は一度もはっきりしたことはなかった。しかもはっきりしているのはやっと半時間か一時間だった。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしていた。言わば、刃のこぼれてしまった、細い剣を杖にしながら。

 彼は、確かに、生活者に敗北したことを認めたわけだけれども、かくも華麗な文章で自らの敗北を描くほどの自負心をポイと捨てることはしなかった。彼はかつて平凡な人生と対峙していたが、その晩年には、彼を滅しくる運命と対峙していたわけである。

 ここで重要なのは、彼 vs X の対峙という形式なのであって、そういう分割の態度なのであって、この分割は、先ずは本屋の一階と二階との間で啓示的に引かれた線であったが、ひいては、彼と彼の運命との間で強い意志によって引かれることになったものである。それは、初めは単なる思い上がりであったのだろうが、いつしか、英雄的な態度となってしまったと言ってもよい。

 だから、彼が「敗北」と言うとき、その言葉を真に受けることは、私には、できない。運命と真正面から向き合う者の顔がどうして涎や鼻水や涙に汚れているはずがあろうか。