TVカメラ
ふと思っただけなので論証はできないのだけれども。
よく商店街などのテレビカメラの設置が問題になる。治安意識の向上や他者の排除の文脈なんかで。
そういうのは、メンタリティの変化とか、統治の変化とか、そこらへんの説明で片付くことが多いので、わしもまた「そんなものかな」と半ば納得したりもしていた。
しかしよく考えてみると、都営大江戸線にあるカメラは都が設置したものだが、商店街に設置される場合にはテレビカメラを設置するのは商店街の人々である。彼ら・彼女らがお金を出しあって設置するのだ。
だとすれば、そこでのテレビカメラを設置するほうが良いという判断は、商店街の人々を取り巻く経営環境の変化と切り離して論じることはできないのじゃないか。