FF7

 FF7が出た頃、知った風なことをいう連中が跋扈してスクウェア路線を批判した。
 「映像ばっかりでゲーム本来の楽しさを失った」大抵はくだらない紋切り型の悪口であったのだが、それが、馬鹿げた紋切り型としてではなくいっぱしの正論として受け止められたところに、この事態のおかしさがある。
 つまらない言葉がいっぱしの言葉として承認されるのだが、その背後には、偉大でスキの多い敵がいる。「偉大でスキの多い敵」とは一番最初にその路線(のみ)を追究した成功者のことをいう。売れ線を最初に発見しそれのみを追及することで、これまで見えていなかった売れる要素を可視化し、それをロコツに見せる*1
 ロコツに見えたから、それを対象として批判が可能になる。そして、相手が成功して大きくなったから、つまらない言葉が批判の言葉として承認される。
 我々は、新しいことを述べていると錯覚しがちである。というか、そういう錯覚がなければ、どうして研究者としての自負を抱くことができるだろう。しかし、その言葉が、その実、偉大な敵によって言葉足りえていないかどうかについては疑う必要はあろう。

*1:「味の素」が昆布からグルタミン酸ソーダのみを析出したのに似ている。