海外ミステリって売れてないらしいね

 確か、ミステリマガジンによると、一年あたりの刊行量が最盛期の半分の百五十程度になっているとのこと。今やダヴィンチコードの一人勝ちだとか。分からねえ。
 わしは国内のミステリはあんまり読んでこなかった。邦ミスで感銘を受けた作品てあんまり、ていうか、殆どない。理由を考えてみると、世界観で驚かされるというのがあんまりないせいだと思う。日本のミステリにはいつも「お里が知れる」というところがある。細かいところまで凝っているんだけれど、凝りっぷりがせせこましい。京都の庭みたいなもんだ。もっと粗くていいから世界観で勝負せよと思う。
 ただ、世界観で勝負せよ、というと、マニアというかヘンタイの世界が展開されるところがある。息が詰まるクドさというか。うまくいえないけれども、ドグラマグラというか。吉里吉里というか。面白いんだけれど、二度読む気にはなれない。
 世界観というのは、作家の抱える問いの深さなのかなと思う。同じ色調で統一したテーマパークなのではなくて、いつまでも著者を追い詰める単一の問い、それに立ち向かうことかなと思う。そこには、宗教に近い確信があるハズだと思う。
 問い続けることって大変で、比較的よい作品がかけてしまうと、それでパッと晴れて霧消してしまうところがある。だから、問いの代わりに問いに偽装した世界観を据える。暴力沙汰ばかりを意味なく並べたり、妖怪変化を並べたりする。でもそれは問いではなくてテーマ。つまりは「意匠」というと、これは小林秀雄になってしまうのか。
 いやはや暴論であった。