批評と価値
- 作者: 馳星周
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/06
- メディア: 文庫
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ノワール繋がりで比較して見よう。ジム・トンプスンは、ほぼ一本線のプロットしか持っていないが不思議と読ませる作家であった。馳やエルロイはそういう作家ではないと思う。その魅力はどこにあるかといえばやはり筋書きのうまさにあるのだろう。そういう技巧派としての側面が強調されてこなかったのが馳星周という作家の不幸である。つまり、「もっと読もうぜ、馳星周」ってことである。
さて、私の中での彼の再評価のきっかけとなったのが、冒頭に挙げた、「バンドーに訊け!」である。同書は、彼が不夜城で鮮烈なデビューを飾るまでの書評をまとめたものである。
今でこそコワモテのイメージのある彼だが、この書評では、失恋の辛さをぶちまけたりと意外に軟派な側面を見せており驚かされる。また、文体についても、小説では一文一文が短くて即物的であるのに対して、こちらはくだけたエッセイ風のものとなっている。この点も驚きであった。
残念ながら、彼の読書の守備範囲が大変広く、連載当時でさえマイナーであったろう作家の作品を丁寧に拾っているので、今読んで「あの作家のあの作品か」と批評に共鳴したり反発したりということができない。そういう意味で、この本を通して、紹介されている本を読んで見ようという気にはならないかもしれない。*1
同書を読んで最も感銘を受けるのは、後書きでも述べられているように、濫読をするうちに、次第に著者の価値観が固まっていく過程が如実に見える点である。
孤高のハードボイルドが嘘くさく感じ始め、ヒーロー、ヒロインの潔癖さに辟易し、過剰なまでの感情の吐露を好みはじめる。その吐露の仕方だって、ネチッこく描かれるのではなく、冷淡に書かれたほうが良いし、冷淡の中に燃えるような情念が仄見える文体があればなおよい、といった具合に、日を追うごとに、評者は、注文をバンバンつけ我侭になっていくのである。極端なことを言えば、書評家としては段々と失格していくといってよい。
我侭が極まった挙句に、彼は馳名義で、培ってきた価値観をそのまま練り上げて形にしたような本を書いた。幸いに放り出された価値は世間に受け入れられ、日本に「ノワール」というジャンルを生み出すことになったのである。
*1:そういうのを求める向きには以下をお薦めする。