翻訳覚書

 二年前ぐらいだったか『映画秘宝』で目にした記憶があるのみなのだが、『スター・ウォーズ』の字幕が誤訳であるとして、有志が立ち上がり、彼らの字幕が公開されたことがあった。その字幕に対して、今度はある批評家がむちゃくちゃに批判し倒し、粋の分からぬクソ字幕みたいなことを言っていた。

 それと似たところで、近年出た村上訳『ロング・グッドバイ』にも賛否両論があった。実際のところ、旧訳の清水訳については、わたしの知る限りでは、それをほめる人なんて皆無で、「訳していない部分がある」とか「原文の雰囲気がない」とか、散々な批判がなされていたものだが、村上訳後には、清水訳を擁護する人も結構いたりして、なかなか新鮮であった。

 そんな論争の中で特に面白かったのは、翻訳家にしてハードボイルド研究で著名な小鷹氏の指摘で、昔の翻訳家には、「できる限り最小の文字数で訳してみせる」という規範が有ったそうで、それは、「原文どおり訳すべし」という我らには馴染み深いはずの規範よりも重要なものだったそうだ。

 村上訳は非常に正確な翻訳ということで、清水訳が三つ続いた形容詞を勝手にひとつに縮めて翻訳してしまっていたところを丁寧に訳してみせているとのことだ。原文どおりの再現というのは、まあ、研究者である我らには最重要なルールのようにも思えてしまうが、文学の場合、そのせいで調子が狂ってしまうこともあり、調子を優先するというルールにもまた、無視できない意義があったのだと思う。

 ということで今回の自戒としては、間違ってる翻訳→レベルの低い翻訳と決め付けて、安易なパッシングをするのはやめようということだ。少なくとも文学については。あと何年もすれば、正確さ<調子のよさ、のような価値の逆転があるかもしれないのだし。