聖火リレー

 聖火リレーという象徴的な儀式をかけて、まあ、様々な思惑が重なってきているわけですが。私個人としては、中国の一般人の肩を持つというか、中国政府のことは措くとしても、彼ら、彼女らの気持ちは割りとよく分かるという気持ちでおります。
 

 昔、「できそこない博物館」という本で、星先生が、自分のネタにならなかったメモ書きをテーマにエッセイを書いていらっしゃったが、そのメモの一つに、こんな話が有ったと記憶している。 

ある日、理由もなく男が逮捕される。「なんで逮捕されるんだ」と抗議するがまったく無視される。ある日、これまた唐突に理由もなく釈放される。ちょうど東京オリンピックが終わったのだった。

 と、いう話である。このメモをとりあげて、星先生は、「当時はそんなことが許されかねない空気だった」と振り返るのである。

 今でこそ、オリンピックに対して割と醒めている我々も、「初めて我々の国でオリンピックが開催される!」という期待に対して、同じようにクールでいられただろうか。そう問いかけてみて、中国の市井の人々のふるまいのことを考えてみるべきだと思っている。