優れた小説は概念を理解させる

 

立証責任〈上〉 (文春文庫)

立証責任〈上〉 (文春文庫)

 才人、S. トゥローである。前作『推定無罪』同様、前半200頁は、なんとなくダラダラと続くのでここが辛抱どころである。それさえ超えてしまえば、後半の悲喜劇を存分に楽しむことができると思う。
 移民の子どもが戦後のアメリカで何とかうまいことやって名のある弁護士となることができた。そして、美しい妻と子どもに恵まれた。だが、その妻が何の予兆もなく自殺してしまうというところで物語の幕が開く。そこから、主人公の長く苦しい、幻想と現実とのすり合わせの旅路が始まるのである。
 物語は、彼らの世代とその子どもの世代の男女関係を交互させながら展開する。結局、その帰結から言えば、彼の人生は失敗だったのかもしれない。それは、夫婦がお互いの人生の秘密に口出ししないという彼らの世代の規則のもたらした失敗だったかもしれないが、新時代の夫婦は夫婦で、既定のわだちを歩むことができずに、すべてを二人で選択しなければならないという新たな規則を課せられているわけで、失敗を転嫁するわけにはいかない。
 失敗はした。やってきたことのすべては空しかった。だが、過去にアメリカ社会で生き直すことを選んだ者として、やり直すことは可能だ、ということを信じないわけにはいかない。ここで、この小説のテーマであろう「再生」という言葉が出てくる。この小説のすべてが、この不確かな概念を理解させるために展開されている。
 トゥローの考えでは、様々な汚辱に塗れたアメリカ社会が、幸運にも、唯一維持する事の出来た価値が「再生」であるということなのだろう。だが、それは約束ではない。叶えられる事のないかもしれぬ祈りの対象に過ぎない。とはいえ、彼らには、祈りながら生きるチャンスだけは辛うじて許されている――これがトゥローの下した診断ということになろう。