メモ

 考古学期のフーコーがしばしば使った論証に、「科学A」による「発見B」については、その発見以前にすでに「発見C」が存在していた、という指摘がある。科学が自己の対象を見つけたのだという異論の余地のなさそうな物語の狭間に、何とも都合の悪い「発見C」を咬ませるのである。
 そこから逆流して、「発見C」は、なぜそれ単独では、「科学A」を構成し得なかったのかという問いが立つ。それに対する答えは、「科学A」の構成は、「発見BもしくはC」だけではなく、その他の諸条件が矛盾のない関係下にあった場合にのみ可能なことだったのであって、「発見BもしくはC」よりは、それら諸条件の間での関係の成立の方が大事なのだということを指摘しようとする。