台風

理解可能性


 台風がなかなか来ない。とはいえ、待ち望んでおるわけではないが。
 その台風は高気圧に行く手を阻まれて、その淵に沿ってのろのろと西進、様子見といった調子だという。
 しかし、今わざとそういう言い方をしたのだが、実在するのは空気の層だけである。熱による空気の流れがあって、その結果として空気の層がある。これ正しいのかしら。そうした空気の層と流れの相互作用のありさまを表現しているのが、上述ということになるか。
 いろいろな人の階層論を読んでいて感じるものとも似ている。「ホワイトカラー上層が閉じてきている」とか。似た属性の人々がある程度同じ方向に動いており、それを階層と名づけてみると、勢力図のようなものが描けるようになる。
 それにしても、階層という発想が出てきたのはずいぶん古い。宮廷社会の頃にはあったとエリアスはいっていた。同様に、台風という発想は気象についての知識のある以前から存在していた。「台風がやってきて屋根瓦が吹き飛ばされた」というわけだ。
 ①空気の流れの水準があり、②それを低気圧、高気圧、台風とする勢力図の水準があり、③お天気と台風だけの水準がある。同様に、①諸々の相互作用の水準があり、②それを階層の勢力図とする水準があり、③己の集団と敵対する集団だけの水準がある。
 わしらは、①と③の真ん中で科学ぽいことをはじめてみた。理解が可能であるとは、結局、こうしたどっちつかずの中にある。一世紀後にはわしらは①の水準だけで理解可能な世界にいるだろうか。