ゼミ形式

 講義という形式についてのフーコーの分析は読んだことがあるが、ゼミという形式についての分析は読んだことがない。ゼミというのは、あれは、思ったことをぶつけあい、それが時にはつながり、つながらなかったりするが、いずれにしても、例えば優れた講義におけるような感銘を参加者に与えるということはない。
 しかし、誰が同じ意見で誰が異なる意見の持ち主かということはすぐ分かる。また、誰がハッタリで誰が優れているかも割と分かるのだが、と同時に、雰囲気の作り方のうまい下手に判断が左右されうるという危険もある。
 それにしても、これらのことがいかなるメリットを産むのだろうか。参加者にはいかなる教育効果と、教育者にはいかなる指導上の有効性を生じているがゆえに、この形式が続いているのだろうか。この点をきちんと押さえた分析を読みたいと思う。教育学ではあるのだろうか。
 さしあたり「ゼミの効用」で検索をかけてみた。いろいろなソースからほぼランダムに引用をしてみる。

  1. 講義と違って特定のテーマを深く掘り下げる場としてゼミは威力を発揮します。いろんな考え・意見をたたかわせながら、テーマにたいする認識を深めることができます。議論するまで意識しなかったことに気づくなど、知的好奇心を駆り立てるのもゼミの良さでしょう。
  2. ゼミの場で指導教官に評価される発表をすることが最重要と考えている学生や,学生にそう考えさせている教官がいるようですが,アホです.その結果がごますりだらけのゼミだとしたら,笑うしかない.ゼミは公の場に出たときに備えて,いろいろ経験しておく場であり,本当に重要なのは,外で上手くやれることなのです.
  3. ゼミの効用は例えば、自分で情報を見つける手段を覚えるということや、暗記ではなく、モノを考える習慣をつけることができる点など沢山あります。
  4. 優れた数学者が (優れた数学者であるが故に可能なのだが)、重要な概念を本質を失なはない形の易しい例で説明してゐる。しかし、初学者はそれを読んでも実際簡単なので重要と思はない。そんなときに、先生が「これは簡単さうだけど、すごく大事で深いんだよ」と一言コメントする。これはゼミの効用の一つ。
  5. 私のゼミは単位取得のみを目的とはしていません。卒業後も付き合えるような友情を育むこともまたゼミの効用の一つと考えています。
  6. ゼミは普通の講義ではやれない専門的な研究の細かな指導が重要な目的ですが、その他にも重要なゼミの機能として教員と学生の「本音のコミュニケーション」という面があると思います。研究の指導だけでなく、個人的な悩みや卒業後の進路のこと等を話す場としてもゼミはあると考えています。
  7. また、自分が考えたり学んだりしたことをゼミ生間で共有することができなければ、ゼミの意味はないと私は考える。
  8. 早い機会にこのようなセミナーでじっくり読んでみる経験は物理教育に絞って考えるだけでもきわめて重要な要素であると思う。口幅ったいことを言えば、自由な討論を通じて真理を探究する科学の精神の一つの原点であると思うからである。思えば我々が若い日に、空き教室や下宿でやったゼミの意味も、このような自らの手と頭脳で、試行錯誤しながら数学や物理学に取り組むという貴重な体験の場であったと思う。……ある限度の範囲でもっと勉強したいやる気のある学生に「身に付けさせる」ことを考えたい。その一つの方法が少数セミナーを自由に開講することである。自由な発想に基づく自由な討論の場を作り、教師がそれをリードする。よいテキストを選び、読み解く訓練をする。研究上の経験からでも、手がけ初めのテーマの論文を読んでもさっぱり解らないが、自分のテーマを持って形式を構築してゆく過程でものが見えてくる経験をするのではないだろうか。いわゆる追体験である。