我らの中の真剣一〇代

 一〇代の主張の特性というのは主張内容にというよりは、主張の語り口に表れるのではないか。
 青臭い(と思えてしまう)問いがなぜ青臭いかといえば、迂回路を経ようともせずに通念というヤツに逆説をぶつけてしまう、その所作が分かりやすいからであろう。また、所作の分かりやすさということでいえば、声も無視できない。高いとか低いとかではない。せっぱ詰まった、口を尖がらせているかのような、前のめりのコミットメントを感じさせるところに真剣一〇代の声の特徴がある。
 我々大人は真剣一〇代を嫌がるが(喜んで見ているという人を私は知らない)、それは、正統な問いの立て方や、適切な迂回のための薀蓄や、真剣ではないフリの喋り口などを相応に覚えた我々が、一皮向けばその内側に、「私の話を聞いてよ」と必死がっている一〇代を飼っており、そのことに気付かされるからではないか。なんて。