家族ゲーム

 連れ合いが横で家族ゲーム(1983)という映画を見ていたので、その音声が聞こえてきた。聞くともなしに聞いていると、テストを点数の低いほうから順に返すという先生の怒鳴り声と生徒の笑い声、そして、「恥ずかしかったら勉強しろ」という注意が聞こえてきた。
 今ではもう見かけない風景だろうと思う。私塾でさえ。ただ、「恥ずかしかったら、勉強しろ」というトレードオフはそんなに不当なものとはいえないと思う。みんなが同じ教室に集まっていることが自然に生み出す羞恥心などの感情をテコのように用いて、ミニマム以下の生徒を、せめて平均の水準へと、勉強に駆り立てようとするのは間違っていない、とわしは思う。
 今はこんなテクノロジは使えなくなった。使えなくなった理由は生徒の感情への配慮とかいろいろある。それらの理由にはそれなりに根拠もあるし、みんながそれで納得しているのならばそれでよいとも思う。
 しかし、そのおかげでどうなったか。昔は、「恥ずかしかったら勉強しろ」というテクノロジに対して、低い点数をとる生徒は、その説教をニヤニヤ笑いで受け流し、周りに「こんな馬鹿らしいことやってらんないよな」という空気を作り出して、そのテクノロジを無効化するという文化を作って抵抗した。
 今は、低い点数をとる生徒はそんな空気も作り出せず、自分の内側に劣等感を溜め込むか、世の中すべてをシニカルにまなざす生き様を採用するかのどちらかだろうと思う。
 幾つかの報告をきくと、昨今では、昔のような成績のワルい奴が威張れるような領域が縮小し、成績優秀な奴がクラスでも人気があるという雰囲気になりつつあるという。
 あまり一般化するのも考え物だが、勝ち組だとか負け組だとかの言葉が流行ることの理由も案外こんなところに存しているのではないか、そんな気もする。