フーコーは決して社会学者であったことはなかった。どちらかといえば、ずいぶん長い間その敵にあたる心理学者であった。心理学を突き抜けたらいつの間にか社会学的なことになっていたが、それは本意ではなかったはずである。むろん心理学に戻ることも厭だったので、その晩年には不思議な思考を遺すことになった。
 最近は、この「付き抜け」てしまう過程である意味ネガティヴに発見される「社会」に注目している。全く社会に関心のなかった研究者が、逆説的に社会にたどり着いてしまうという不思議。
 要するに、初期フーコーにおける不思議なまでの社会的な因果関係の追及への無関心さが面白くて仕方がないのだ。
 例えば、『狂気の歴史』では古典主義時代における狂気の扱いの変化が論じられているのだが、そういう変化を生じさせたその社会の様々な因果関係の絡まりあいは、ただ漠然と「構造」と呼ばれているに過ぎないのである。ここでは、その絡まりを解きほぐすためにではなく、敢えてそこに踏み込まないために「構造」という言葉が用いられているのである。狂気の扱いの変化にこそ関心があったので、社会的な諸要因なんてどうだって良かったのだ。
 人は自由な存在である。なんだって出来る。しかし、その自由さを周りの人間は引き受けることができない。だから狂気が生まれる。引き受けないというときには、悪魔とみなして全力で立ち向かうこともあれば、密かに手を切って遠ざけることもあるだろう。あるいは、遠ざけておいてからその先でいかにも優しい父親のように振舞う事だってできる。
 連中はいつだって汚いのであって、なぜ汚いのかなんてどうだってよいのだ。むしろ、どう汚いのか、それだけが問題なのだ。