世代の声

 世代の生き様というのは必ず何らかの文学的表現を得るものであるが、残念なことに、我らの世代にはその表現が決定的に欠けていると思う。どこぞの勘違いが、戦争を望むかのようなことをのたまって注目を浴びたりもした。そういうパッションについては共感する部分もあるが、所詮は俗ぽいインテリ志望のやることである。お里が知れているというか、魂胆が見えている。結局、良識ぶりたいインテリに反響を得ただけのことだった。おめでとう。
 一世代、二世代前の連中――自分のことを「ぼく」と呼びそれを記録に残すことに何ら躊躇する事のない、薄ぺらで限りなく広がった自意識をもって生きている連中――
そういった連中の声を自分の声として我々は今日まで生きてきたものの、すでに、そんなところで生きていないことはとっくに感づいている。そうであれば、怒りと恨みと嫉妬で満ち満ちつつもそこに普遍的なものを忍ばせた表現が生まれてきてもよいのではないだろうか。