サクリファイスほか

 1月も終わりである。予想していたことだが、正月が過ぎればあっという間の一ヶ月であった。

サクリファイス

サクリファイス

 二時間程度で読める小説である。ロードレースになじみのない我々に、その面白さをぐっと濃縮して伝えてくれている。ミステリ好きも満足できる内容だったと思う。
 ただあえて難点をいえば、読後感が、「このネタだったら普段の俺ならもっと感動していたはずだ」というものだったというのが気にかかる。なぜだろう。もう少し書き込みがあれば、あるいは結末をもう少し引き伸ばせられれば、要するに、「溜め」がもう少し利いていれば……ということだと思う。
死の味〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

死の味〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 「死の味」というのは、つまりは、人が死んだときに周囲の人々に惹起する何らかの感覚。口の中にいつまでも残る「嫌ー」な味わいのことである。P.D.ジェイムズは、この感情を、罪の意識と結びつけつつ、無数の救われない人生を淡々と描いていく。最初はウンザリするばかりなのだが、段々と、救われない人生の濃すぎる描写を舌なめずりして追っている自分に一番驚いた。最後まで救いナシです。
心と行為―エスノメソドロジーの視点 (現代社会学選書)

心と行為―エスノメソドロジーの視点 (現代社会学選書)

 第一章で、ア・プリオリで一般的な予期の構造と極めて偶然的な相互行為の双方を研究対象にするのだという一見すると不可能にみえる課題を統合する解決が提出されている。そのために、エスノの始祖であるガーフィンケルからではなく、サックスの定義から議論を始めるところなどにも周到さを感じた。
 西阪解に反論の余地があるのかどうか、は今後検討されていくべき問題であろうが、彼も匂わせているように、ガーフィンケルが例の論文で打ち立てた対立軸はどうもそれほど生産的な対立軸であるとは思えない。アレを突き詰めると、「それもまたルールだ」と反論されるか、「一切の一般化が不可能だ」と認めるかしかなくなるのではないか。だから西阪解に意義があるのだろう。