建て増しに次ぐ建て増し

 前回の続き。

知の考古学(新装版)

知の考古学(新装版)

 『知の考古学』の叙述は、たとえるならば、ある建築物が無限に「建て増し」をし続ける様子に似ている*1
 彼の不満は、歴史とか変化とか断絶とか原因/結果とか、そういった言葉が、あたかも該当する時代のすべての出来事に関わるかのごとく使われる点にあった。しかし例えば、「変化」という言葉は、AがBに変わることを指すに過ぎないが、これでは、Aの内でどこが変わってどこが変わらないのか、その要素の変化の結果、全体が変わるのかどうか、そういった問いを立てることが難しくなってしまう。要するに、「変化」という概念の解像度が著しく低いので、事態の複雑さを十分に指示することが出来ないという、そのことにイライラしていたのである。
 そこで、事態の複雑さを、複雑さごとに複数のレベルを設定することで表現し、その上で、そのレベルごとに意味が異なるものとして、これらの言葉を使おうと考えるのである。
 ここでわたしは、彼の言うレベルというのを、ひとつの「部屋」として理解している。これが冒頭の「建て増し」の比喩に繋がるのであるが、彼の「建て増し」の過程を追っていくと、

  1. 先ず、x軸方向へ、言説の四つのレベルに応じた部屋が用意される。言説はおおよそ、対象、形式、概念、理論に関わるが、これらのレベル=部屋ごとに、固有の変化が起きるし、固有の因果関係を持つ。そしてそれらがとる形式は相異なる。
  2. 次に、y軸方向へ、他の言説との関係性が言説ごとに設定される。『言葉と物』はあたかも古典時代のすべての学問にかかわる出来事を記述しているかのように理解されてしまったけれども、そうではない。あれは、博物学、一般文法、富の分析の三つの言説に共通する特殊な部屋を分析したに過ぎないのであって、読者は望むならば、聖書注解や政治学、数学などが構成する部屋を分析してもよい。
  3. 最後に、z軸方向へ、これらの各部屋が史的に分岐して、更なる部屋が増築される様子が描かれる。例えば、博物学はその方法論的な論争の過程で、二つの相容れない立場を生み出したが、それらは、対象、形式、概念、理論のそれぞれにおいておよそ異なっていた。そこで、部屋が二つ生まれるのであるが、これらの立場は未だ博物学を規定する対象、形式、概念、理論の内にあるので、博物学を基礎とした「建て増し」として記述することができる。

 そして、これらすべての部屋において、そこで展開される、言説的実践と非言説的実践との関係がとる形式は異なる、この点こそ、先行研究が執拗に誤解してきた点なのである。

 次回は、単純化のために、ここで挙げたx軸方向への「建て増し」に話を絞って、言説と非言説との関係がとる多様な形式について書きたい。

*1:余談だが、わたしが「建て増し」という時、念頭に置いているのは、故郷N古屋のK予備校のC草本校のことである。今はどうなっているか知らないが、高校生の頃、あの建物には相当なショックを受けた。というのは、建て増しをしすぎて、教室の場所が分からなくなってしまっていたためである。そして仮に、その場所を座標軸上の位置として抽象的に特定したとしても、そこへ行き着くための通路がどれだか分からないのである。この建築物は、K予備校の発展の歴史を物理的に反映してしまっており、コアとなる最も古い部分を中心に、上へ横へと拡張し続けていった挙句に現在のヘンテコな構造へと至るのであるが、これが、わたしのその後の「建て増し」観を決定的に規定してしまっているのである。