USSR

 

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

 というわけで、本年ベストの呼び声高い『チャイルド44』である。数十人もの子どもが殺されるシリアル・キラーものなのだが、実際に事件の全貌が見え始めるのはようやく前編も終わり近くになってからのことである。

 なぜかくも展開が遅いのか。それは、この事件の舞台がスターリン統治末期のソ連であることによる。まさに、冷戦真っ最中、社会主義による恐怖政治の最高潮のさなかで起きた連続殺人事件。このことが、ありがちな快楽殺人を複雑怪奇なものにしてしまうのである。

 なんとなれば、ソ連の公式教義によれば、窃盗や殺人などといった犯罪は資本主義の産物であるとして、理論的に、存在を否定されているためである。有ってはならないのだ。

 そのために、次々起きる子どもたちの殺人は、殆どが、事故もしくは地域在住の精神障害者によるものとして個別に処理される。それらが結び付けて考えられることは決してない。

 なお、精神障害者による犯罪が認められているのは、彼ら彼女らが、社会主義国家の一員として認められていないことによる。あとは、クスリでも何でも使って、有りもしない罪を自白させてしまえばよい。逆説的なことだが、この人間不在のシステムは、自白を必要とするのである。

 というわけで、連続殺人どころか殺人という概念さえ存在しないところでの、連続殺人事件の捜査が、いかに不可能事であるかが理解されるであろう。結果として、この小説、警察による捜査がメインとはならず、あらゆる制度から見放されつつも何故か捜査をあきらめない男女による逃避行がメインとなる。波乱万丈の冒険小説といってもよい。すでに映画化が決まっているとのことだが、すんなり映像化できそうなシーンがこれでもかと詰め込まれており、リーダビリティは満点である。

 最後に、殺人の概念のないところでの殺人事件の捜査、という今述べた状況は単なるフィクションではない。実はこの小説、チカチーロ事件と呼ばれる、ソ連で70-90年ごろに実際にあった連続殺人事件をベースとしているのだという。

 「理論的に存在しない犯罪」「自白を必要とするシステム」こういったところに妙に思考を刺激されつつ、本年二度目の一気読みであった。