モノマネについてのメモ

 ずっと前の「内村さまぁ〜ず」でだったと思うが、イジリー岡田がモノマネについて述べていたことが頭を離れない。

 モノマネ選手権というミニ企画で、三村が南原清隆のモノマネをしたのだが、そこでイジリー岡田は、それが松村邦洋のネタであることを指摘した後に、「人がやったのはやりやすいんだよ」と言ったのである。その後、大竹が、「ホリのキムタク」や「松村の貴乃花」などの「人のモノマネのモノマネ」をして、イジリーの発言を裏づけることになった。

 形のないxから、何らかの形を取り出すこと。この形さえ出来てしまえば、模倣は極めて容易い。そういう美学的(?)な真理がここにはあると思った。

 更に付言すると、そうして生まれた至高の形式は元のxを規定する。我々の思いつくモノマネは、古くはコロッケの美川憲一であったり、最近では、山本高広の織田裕二であったりなのだが、一旦その形が取り出されてしまうと、それ以外の目で本人を見ることが出来なくなってしまうほどである。終には、ナンシー関が、古畑任三郎をみて田村正和の自己パロディと評したように、至高の形式は、xが人間である場合には、それを規定するどころか、そのものになってしまうことさえある。

 形のないxから、何らかの形を取り出すこと。仮に、このxに社会的事実の一つを当てはめたとしても、特に問題はないと思う。