書く前の儀式
内田樹先生が面白い逸話を紹介していたので引用。
クロード・レヴィ=ストロースは論文を書き始める前には必ずマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を繙読するそうである。別にその中に人類学的知見が豊かに述べられているからではない。マルクスを数頁読むと、がぜん頭の回転がよろしくなり、筆が走り出すからである。
あるね、こういうのは。昔の私は、『千のプラトー』を適当な頁から音読とか、『本来性という隠語』や『啓蒙の弁証法』でのアドルノ先生の啖呵を音読してはイキそうになっていたりとか。完全に狂っていたとは思うけれど、今から思うと、あの頃の意味分からないテンションが懐かしいというか、もっと残っていてほしかったような気もする。
社会学では、やはり、プロ倫最終章の「化石燃料の最後の一片が燃え尽きるまで……」の下りに尽きるか。あれ程のカタルシスを提供できている社会学的研究が他にあるかね。とはいえ、人を非難するときのブルデューのテンションにも惹かれてしまう。彼の啖呵の最高傑作は、
話すということ―言語的交換のエコノミー (Bourdieu library)
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