追記(11/25)

 「プレステージ」は、原作が、C. プリーストの奇術師だったんだね。

 積読にしてたから分からなかった。「文字で読まされたらブチ切れる」って書いたけれども、本当に切れちゃうんだろうか。楽しみ。

 どんでん返し映画3選

 ここ最近、結構多くDVDを観てきたのだが、その中でもオチが秀逸だった映画を3本ほどご紹介。
 

カオス<CHAOS> DTSスペシャル・エディション [DVD]

カオス DTSスペシャル・エディション [DVD]

 先ずは、こちら。

 武装した強盗団が銀行を襲撃。人質をとり立てこもった彼らのリーダー・ローレンツは、包囲する警察に対し、交渉人としてコナーズ刑事を呼ぶよう要求する。コナーズは以前担当していた事件での失態で謹慎処分中だったが、新人のデッカーとコンビを組むことを条件に謹慎を解かれて現場に復帰。強盗事件現場での交渉に乗り出した。そんなコナーズに対しローレンツは「混沌<カオス>の中にも秩序はある」と謎めいた言葉を残し……。

 まあ、カオス理論云々は余計な味付けだが、冒頭から結末まできっちりアクションを描いていて視覚的に飽きさせない。それでいて、実にミステリ・ファン好みの落とし方。

 ……さて、この作品までは、文字のミステリと映像のミステリは割と幸福な結合を果たしていると言って良い。しかし、以下の二作を見れば分かるが、そういうのはほぼ例外なのではないかしら、というのが、私の印象。
 

 次は、メメントやダーク・ナイトのC. ノーランの作品。

 19世紀末のロンドン。若き奇術師アンジャーとボーデンは、中堅どころの奇術師ミルトンの元で修行をしていた。しかしある日、アンジャーの妻で助手のジュリアが水中脱出に失敗し死亡。事故の原因はボーデンの結んだロープが外れなかったことだった。これを機にアンジャーは復讐鬼へと変貌し、2人は血を流す争いを繰り返すことになる。その後、結婚し幸せな日々を送るボーデンは、新しいマジック「瞬間移動」を披露するのだが……。

 「小説的にはナシだが、映画的にはアリ」。こういう作品がたくさんあったのは、長年のミステリ・ファンにして俄か映画ファンである私には驚きだったが、本作などはその筆頭だろう。こんなのを文字で読まされたらブチ切れて表表紙と裏表紙とをクリップ止めの計に処しただろうが(©温水ゆかり)、映画だったら「ホウ」となってしまった。不思議な現象だった。

 

 最後は、コレ。

 天を突いたような豪雨の夜、寂れた街道で交通事故が起こる。加害者のエドジョン・キューザック)は、近隣のモーテルに救援を求めるが、豪雨で電話は不通。道路も冠水し、行く手を阻まれてしまう。やむなくエドはモーテルに引き返し、天候の回復を待つ。モーテルに集ったのは、同じように立ち往生した10名の男女。女優と運転手、娼婦、新婚夫婦、囚人と刑事…。互いに見ず知らずの彼らは、それぞれが何か秘密を抱えているようだった。やがて彼らは雨に閉ざされたモーテルで、1人また1人と謎の死を遂げてゆく。

 ファイナル・デスティネーションとどちらにしようか、ちょっと迷った。要するに、「身も蓋もない」というやつ。これも文字では滅多にお目にかかれない性質のオチだと思う。それと、本作はまた、ミステリ小説的にはズルだが映画ならアリという例のジャンルにも入る。ともあれ、ごく短時間にバンバン人が死んでいくのも気持ちよいし、悪魔的な結末もすばらしい。

 ごく簡単にマグノリア

 

マグノリア コレクターズ・エディション [DVD]

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 色んな人のエピソードがどこかでつながるということでは、後発になるが、『クラッシュ』
クラッシュ [DVD]

クラッシュ [DVD]

の方がずっと洗練されている。あちらは繋げることにより分かりやすい意味を持たせている。しかし、分かりにくいからこそ考えることも多いと言えなくもない。

 ひたすらに長い。同じ台詞の繰り返しなんかを省略すれば、二時間半ぐらいには出来たんじゃないか。個々のエピソードも、出オチというか、伸びシロがない。例えば、天才少年は反抗するし、セックス伝道師は過去に向き合い、死にかけた富豪は過去を悔いるといった具合。登場した瞬間に分かる。

 ただ、ラスト30分前ぐらいにとんでもないことが起きる。ブラウン管前で軽く10分はポカーンと出来るほど、とんでもない。想像を軽く絶する。未だにあれは何だったのだろうと考えている。それでいて、そのとんでもなさは本筋と殆ど繋がっていないところを「ステキ!」と捉えるか「あざとい」と苦々しく思うか。どうか。

 12人の怒れる男

 

 最近ロシアでリメイクが作られたそうだが、自分が視たのは1957年版。50年前の作品だ。数年前に深夜放送で視たきりだったのだが、裁判員制度の導入を間近に控えて、再度視直すことにした。

 先ずは、途轍もない名作であること――これは大前提として、その上で今回気になったのは、頑強に無罪の評決に反対していた陪審員3名が屈服していく過程が哀れでならないという点である。

 1人は「早く終わらせて野球を見に行きたい」というくだらない理由で無実派に転向するのだが、そのことの是非について、ちょっとした諍いこそあれ、結局は周囲の諦めを以って受け容れられている。彼は劇中、最後まで諦められたままである。

 残りの2名はもっと哀れで、1名は、スラム街の住人への偏見を怒鳴り散らした挙句、スピーチの最中に一人また一人と席を離れられて、終いには、有罪派の株屋にまで「黙って二度としゃべるな」と突き放される。彼はよろよろとテーブル隅の離れに移り、そこで劇が終わるまで項垂れ続ける。

 最後の1名には、自分の息子が家に帰ってこなくなったという個人的な苦悩がある故に、父親の殺害を疑われている被疑者の少年の無罪を受け容れることが出来ないでいるのだが、これもまた散々有罪の主張をした挙句、残りの9名の白眼視にあって、最後は泣きながら無罪を認める羽目になる。

 こんな調子で、「12名全員の一致した無罪評決が得られて正義が守られた」ということになるのである……けれども、最初から理性的対話による説得が不可能な存在が3名いたこと、そして彼らがやはり同様に対話には拠らない仕方で次々敗北していく姿というのが――リアルであったし、哀れであった。

 そういう意味で、今回の視聴では、本作が、「正義が貫徹されて晴れ晴れ」とは行かず、何だか苦い後味の残る作品だったことに気づいたのだった。

 滞在中の小説

 機内は無論、何かと小説を読む機会の多かった日々であった。

イスタンブールの群狼 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

イスタンブールの群狼 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 19世紀中頃、列強にズルズル譲歩し続けた挙句、エジプトやギリシアにまで敗れたオスマン・トルコは、横暴ぶりが目に付くようになっていたイェニチェリ軍団を攻撃、虐殺、追放し、なんとか列強に伍して遅ればせの近代化を図ろうとしていたのであった。

 これが時代背景。そこに、近代化の象徴、近衛新軍の仕官4名が失踪し次々に死体として見つかるというナゾがあって、それに宦官の主人公が挑むというスジ。

 近代トルコ案内としては良くできているのだけれども、そこに力を入れすぎたために、不自然にぐるぐる各所をめぐるお話になってしまっている。翻訳もところどころ「?」。誤訳はないものと思うが、訳文を軟らかくし過ぎなのではないかと思う。19世紀の人物が喋っているというよりも、今時の若者の会話のように読めてしまい、どうにも気持ちが乗らず。

レッド・スクエア〈上〉 (Mystery paperbacks)

レッド・スクエア〈上〉 (Mystery paperbacks)

レッド・スクエア〈下〉 (Mystery paperbacks)

レッド・スクエア〈下〉 (Mystery paperbacks)

 以前紹介した『ゴーリキー・パーク』は80年代初頭のソ連が舞台であったが、その後、80年代末ペレストロイカ下でも行われた流刑にも似た北洋漁業の実態を描いた『ポーラー・スター』を挟んで、91年ソ連クーデター1ヶ月前のマフィアらが暗躍する裏社会での爆殺事件を描いているのが本作である。

 先ずは、批評家の関口苑生氏に感謝を。氏がどこかで、『ゴーリキー・パーク』ばかりが誉めそやされる現状を批判し、シリーズのその後の出来のよさを熱くプッシュしていなければ、『ポーラー・スター』と本作とを手にすることはなかった。

 マーティン・クルーズ・スミスの作品は、前半でその文化の固有性をみっちりと緻密に描く。本作では、主人公が、こんな時世になぜ犯罪捜査に執着するかを問われ、犯罪を通してその社会の様々な集団と関われること、一種の「ロシア社会学」(ママ)をやっているとも言えることを理由としている。

 しかし、それだけの作家ではない。スミス作品は、クライマックスの中で、様々な社会の様々な集団において、それでも変わらぬ人間の本質を大らかに描き、一種の恍惚境を出現させるのである。モスクワ近郊の山火事に、北極の氷上に、官邸前のバリケードの中に。そして、文体は途端にゆっくりとなり密度を下げる。この完璧な対比こそ、この作家の味なのであろう。

 機内映画

 連れ合いのコツコツ貯めたマイルで10日ほど米国に行ってきた(感謝!)。イベント的には、ニューヨークにてハロウィンのバカ騒ぎを目撃し、オバマが大統領になったところを見届けたのが有意義であった。

 考えてみると、この8年は、まさにアメリカの栄光と衰退であったわけで。ニュー・エコノミーなるアホ学説が出てくるほどの好景気に始まったものの、9.11に動転して、アフガン、イラクを攻撃。不思議な石油価格の高騰に、底知れぬ金融不安で幕を閉じた。その過程で日本は、韓国や中国、そしてEUではなく、アメリカを永遠なるパートナーとする決定的な選択を行い好景気のおこぼれに預かってきた。今後はそのツケを払わされることになるかもしれぬ。

 そんなことも考えてみたが、機内の12時間を過ごすには全然足らず、結果として映画を見ることに専念した。
 

オリジナル・サウンドトラック『ゲット・スマート』

オリジナル・サウンドトラック『ゲット・スマート』

 なかなかのボンクラ映画。007パロディーだが、後半は力の入ったアクションを見せられる。時間つぶしには最適だった。


 Swing Vote、あらすじはリンク先を参照。このケビン・コスナーが劇中ずっとダメな親父を演じ続けていてイライラしっ放しであった。どうせ真人間になるのは分かってるんだから、そんなに枕を引っ張る必要があったのだろうか。とはいえ、ダメ親父のご機嫌を取るべく、民主党候補が中絶反対を謳い、共和党候補がゲイ解放をCMで流すという笑える風刺もあった。タイムリー。

 

Wall-E (Dig)

Wall-E (Dig)

 これはずっと前に、主人公の動作にチャーリー・チャップリンのそれを採用しているという監督インタビューを視て、俄然見る気になった作品。チャーリーリスペクト溢れるウォーリーの動作に涙腺が緩みっぱなし。サイコーだった。もう、ピクサーが顕在ならジブリがなくなっても平気だわ。

 

Henry Poole Is Here

Henry Poole Is Here

 前半15分ほどこの映画はホラーになるのかヒューマンドラマになるのか分からぬ不気味さがあってニヤニヤしていたのだが、結局凡庸な後者であることが分かってガックリ。けれども、前評判全くナシに視る映画にはそういう面白さがあるなあ、と思った次第。

 タンゴステップ!

 風格というものがある。最初の数行を読むだけで、「ああ、俺はこの本を最後まで読むだろう」となんとなく感じてしまう本である。

 というわけで、ヘニング・マンケル先生の『タンゴステップ』のご紹介。

タンゴステップ〈上〉 (創元推理文庫)

タンゴステップ〈上〉 (創元推理文庫)

タンゴステップ〈下〉 (創元推理文庫)

タンゴステップ〈下〉 (創元推理文庫)

 プロローグは、1945年12月のイギリス。若い操縦士が謎の雰囲気を持つ男をベルリンへ運んで翌日夜に連れ帰ることを求められる。謎の男は、実は戦犯処刑者で淡々と首吊りを実行する。しかし、一人捕まえられていない男がいることが気がかりだという。操縦士は、謎の男の正体を知らぬままイギリスへと連れ帰る。

 以上がプロローグ。次章は1999年晩秋のスウェーデンとなる。

 主人公は舌癌の宣告を受け休職、なんとなく自暴自棄になっている四十男である。友達も少なく、趣味といえばサッカー結果の切り抜き、取り立てて面白みのない弱気な刑事である。そんな刑事が、新人時代に自分を育ててくれ、今は森深くに隠居している先輩刑事が惨殺されたことを知るのであった。

 とまあ、こんな始まりなのであるが、漂う重厚な雰囲気に、ハードボイルドとは程遠い舌癌にびびりまくっている弱気な男のマッチングが非常によいのである。そしてまた、事件にのめりこんで破滅する男というキャラはエルロイが駆使して有名になった設定ではあるが、今回の事件の場合、舌癌を抱えて何をすべきかを見失ってしまっている男という設定のおかげで、不当に事件にのめりこんでいく様子に不自然さや異常さを感じないで済むのもよい。

 そして、戦時中のスウェーデン社会とナチスとの浅からぬ関わりが掘り起こされていく……愚かな戦争中、懸命にも中立を保ったスウェーデン社会、そう教えられてきた主人公がその欺瞞に気づいていく。国境を越えて喜び勇んでドイツ軍に参加した少なからぬ男たち。ドイツによる占領を望んでいた多くのスウェーデン国民。そんな過去のあれこれが掘り起こされ、石を取り除けられた「石の下の虫ども」が騒ぎ始める……

 本作は、かの名作『目くらましの道』をも超えて、現時点でのヘニング・マンケルの最高傑作であろう。