工場その他

 なんと名づければよいのか迷っているのだが、ある種の個人を働かせたり収容したりすることを通して、結果として、その性質を変容させることになる施設、そういう施設の例として、工場とか刑務所とか病院とか、職場とか研究室もそう。

 そういうのを研究する場合、先ずそこに集う人々の初期設定を押さえないとダメ。大学生だとか、中高年とか、女性とか。そういう基本的なところから始めて、就職氷河期の世代で最初の就職を失敗しているとかのライフヒストリーまで踏み込めるといいのだが。

 それからそういう人々を集めて何かする施設の仕組みについて書く。メカニズムとか、何らかの工夫とか。

 最後に、そのような施設を経由した結果、人々はどう変わったかを押さえる。施設に順応し過ぎちゃうケースとか。サボるためのテクニックとか。結果として、再集団化が行われる可能性もある。例えば、順応しすぎちゃう人はサボってる人を毛嫌いするものだ。そして、再集団化という結果を組み込んで、施設の方ではどういう工夫を行うかまで書くこと。



 社会学的研究なんて大筋だけみれば凡庸なものではないか。細部のトリッキーさに魅了される人は多いし、そういうスパイスがなければつまらないのは事実だけれども、主と従とを間違えたり、盛り付けるべき皿のない創作料理を出したりしてはダメだよな。

 集団

 不景気と格差社会を背景に日本共産党の党員急増

 戦前のドイツなんかでは、すごい数の共産党員がいたけど、そういう人々がその後どうしたかは歴史が教えるとおりよね。決して共産党が悪いわけではないんだが、不満分子がどこかに集まるっていう構図は結構ヤバイんじゃないかと思う。

 ある種の人々のバッファとなる組織というのがあって、経済成長期の日本における創価学会なんかもそうだった。あれは評判悪いけれども、そんなに悪くないバッファだったと思う。アメリカにおける宗教右派のようなのになってしまう可能性もあったわけだから。

 必読二件取り急ぎ

 

荒野のホームズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1814)

荒野のホームズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1814)

 洪水で家も家族も失ったおれと兄貴のオールド・レッドは、いまでは西部の牧場を渡り歩く、雇われカウボーイの生活を送っている。だが、ある時めぐりあった一篇の物語『赤毛連盟』が兄貴を変えた。その日から兄貴は論理的推理を武器とする探偵を自認するようになったのだ。そして今、おれたちが雇われた牧場は、どこか怪しげだった。兄貴の探偵の血が騒ぐ。やがて牛の暴走に踏みにじられた死体が見つかると、兄貴の目がキラリと光った……かの名探偵の魂を宿した快男児が、西部の荒野を舞台にくりひろげる名推理。痛快ウェスタン・ミステリ登場。

 ★★★(星3つ。オススメ)
 この兄貴というのが、弟の学費を稼ぐために早くから働いていたので字が読めない。だから、兄貴は何度も弟に『赤毛連盟』を読ませる。そして、海の向こうで活躍するホームズ(実在の人物という設定)から推理という方法を学び、カウボーイでしかない自分を乗り越えようと密かに決意する。

 とにかく、無口だが弟思いの兄貴と口は悪いが兄貴を心から慕っている弟の姿が美しいのである。そんな兄貴だからこそ、彼が不敵に繰り出す名推理に痺れることができるのだ。オススメ。

ラジオ・キラー

ラジオ・キラー

 ドイツからの刺客、セバスチャン・フィツェックの2作目。

 その日が、彼女の人生最期の日となるはずだった。高名な犯罪心理学者でベルリン警察の交渉人イーラの心には、長女の自殺が耐え難くのしかかっていたのだ。しかし、ベルリンのラジオ局で起こった、人質立てこもり事件現場へと連れ出されてしまう。サイコな知能犯が、ラジオを使った人質殺人ゲームを始めようとしていたからだ。リスナーが固唾を呑む中、犯人との交渉を始めたイーラは、知られたくない過去を、公共電波で明らかにせざるを得なくなる。そして事件は、思いも寄らぬ展開へと、なだれ込んでいくのだった……一気に読ませる、驚異のノンストップ・サイコスリラー。

 ★★★
 まあ、後から考えるとツジツマの合わないところもあったりするが、ともあれ、何かの機械のように延々とページを捲らせ続けられること自体が驚くべきことである。人の注意力を操ってしまう秘法を見つけたのだろう。本年4度目の一気読み。

 続・極限捜査

 前回は読了後すぐに書き込んだので、いい加減な一口メモしか残せなかった。

極限捜査 (文春文庫)

極限捜査 (文春文庫)

 訳者の村上博基氏には、過去にもル・カレ作品の翻訳などでお世話になってきたが、本作も、体制が強いる緊張した雰囲気の再現は見事というほかない。

 その日、わたしはひとりの男が埋められるのを見た。人間が人間にどこまでできるかを、百年見てきた男だった。わたしはいま、人妻のベッドで涙をこぼしている。人間は人間にそんなこともできるのだ。

 「家には人が住める。家は人を守ってくれる。芸術になにができる。ネストールが壁に絵をかくたび、看守にみつからぬよう、おれたちの誰かが濡れ雑巾で拭いていた」彼は手でテーブルをたたいた。「きれいなものだよ、芸術ってのは。けど、拭けば消えてしまう」

 モノマネについてのメモ

 ずっと前の「内村さまぁ〜ず」でだったと思うが、イジリー岡田がモノマネについて述べていたことが頭を離れない。

 モノマネ選手権というミニ企画で、三村が南原清隆のモノマネをしたのだが、そこでイジリー岡田は、それが松村邦洋のネタであることを指摘した後に、「人がやったのはやりやすいんだよ」と言ったのである。その後、大竹が、「ホリのキムタク」や「松村の貴乃花」などの「人のモノマネのモノマネ」をして、イジリーの発言を裏づけることになった。

 形のないxから、何らかの形を取り出すこと。この形さえ出来てしまえば、模倣は極めて容易い。そういう美学的(?)な真理がここにはあると思った。

 更に付言すると、そうして生まれた至高の形式は元のxを規定する。我々の思いつくモノマネは、古くはコロッケの美川憲一であったり、最近では、山本高広の織田裕二であったりなのだが、一旦その形が取り出されてしまうと、それ以外の目で本人を見ることが出来なくなってしまうほどである。終には、ナンシー関が、古畑任三郎をみて田村正和の自己パロディと評したように、至高の形式は、xが人間である場合には、それを規定するどころか、そのものになってしまうことさえある。

 形のないxから、何らかの形を取り出すこと。仮に、このxに社会的事実の一つを当てはめたとしても、特に問題はないと思う。

 極限捜査

 

極限捜査 (文春文庫)

極限捜査 (文春文庫)

 共産主義国家で起きた連続殺人。だが捜査にはKGBが介入、事態は混迷する……独裁政権下の刑事の絶望的な戦いを描く警察小説。
 刑事としての責務か、人としての矜持か。東欧の国で捜査官を務める私を、その問いが苦しめる。元美術館長の変死、画家の惨殺事件、政治委員夫人の失踪、終戦直後の未解決事件……山積する事件に影を落とす、国家の暗部。破滅を覚悟し、私はその闇へ切り込むことを決意した。熱く、骨太に、刑事たちの誇り高き戦いを描く警察小説。

 ★★★★(星4つ。必読!)
 今年のベスト3には入るだろう傑作。つまり、本年3度目の一気読みであった。出てくる夫婦、出てくる夫婦、みんな不仲!(笑)。温和で気弱な主人公かと思いきや、とんでもない暴力衝動が突然爆発!(笑)。などの笑いどころはあるものの、基本的には、大変シリアスで暗い気持ちになれる硬派な警察小説でした。

 「体罰」反対

 学校で体罰うけて成長した人、いる?

 まあ、賛否両論あるかとは思うが、私は、そもそも「体罰」という言葉が嫌い。冷静に考えると、一人の人間が一人の人間を叩いたり殴ったりしたら、それは「暴行」である。この人間の一方が先生であったり親であったりするだけで、「暴行」とは言わず、「体罰」と言い換えられてしまう時点で、おかしいんじゃね? と思う人がいたっていい。

 賛否どちらに与するにせよ「体罰」という言葉を選んだ時点で、何か、問題の大枠のようなものを承認してしまっていることには注意深くあるべきだと思う。


 追記すると、これは「罰」の定義権の問題になるか。「体罰」という語を使ってしまうと、「罰」(そして「罪」)の定義権を先生なり親なりに認めてしまうことになる。それが、私は気に入らないのだろう。